来たる7月5日、投開票が行われる東京都知事選挙。
今回は過去最多の22名が立候補を表明しています。
その中でも注目を浴びているひとり、れいわ新選組代表の山本太郎氏についてまとめてみました。
目次
山本太郎氏の経歴
山本太郎氏の生い立ち
山本太郎氏は、1974年11月24日兵庫県宝塚市生まれで現在45歳。
山本氏の幼少時、1歳の頃にお父さんが他界し、以降は母子家庭で育ちます。
山本氏は、「母親は正義感が強い人で、日常的に『自分より立場が弱い人には手を差し伸べろ』と教わりながら育った」と語っています。
実際に山本氏のお母さんは、フィリピンの貧しい子供たちを支援するボランティア活動を行っていて、山本氏も何度も現地に行ってお手伝いをしていたといいます。
この出来事が山本太郎氏の正義感が強くなった所以かもしれません。
山本太郎氏の学歴
山本太郎氏は、1990年に大阪府豊中市にある箕面自由学園高等学校に入学しましたが、翌1991年に退学しています。
つまり、1年生か2年生で退学したことになります。
確かな情報がないので学科やコースは不明です。
後述の芸能活動を始めたことにより方向性の違いによって退学したかもしれませんね。
山本太郎氏の芸能界活動歴
現在、政界で活躍する山本太郎氏は、以前は芸能活動をしていたことも有名です。
では、山本太郎氏の芸能活動歴はどんな感じだったのでしょう?
1990年、箕面自由学園高等学校在学中に「天才・たけしの元気が出るテレビ」の人気コーナー「ダンス甲子園」出演をきっかけに芸能界入りをします。
更に翌1991年映画「代打教師 秋葉、真剣です!」で俳優デビュー。
その後も2000年の「バトル・ロワイアル」、2001年の「GO」に出演。
テレビドラマでは、1996年の「ふたりっ子」、2004年の「新撰組」に出演するなど、俳優としての地位を築き上げます。
『光の雨』、『GO』で2001年度日本映画批評家大賞助演男優賞受賞。
『MOONCHILD』『ゲロッパ』『精霊流し』で2003年度ブルーリボン賞助演男優賞を受賞しています。
山本太郎氏の映画での名演技を視聴したい方はこちら! ↓
俳優以外にも、「世界ウルルン滞在記」でのレポート、一例として、ニューギニア島の少数民族のダニ族と数日間生活し、生活様式や儀式を体験し苦楽を味わうといった活動で、芸能界に独自の存在感を示しました。
山本太郎氏の政界入りのきっかけ
山本太郎氏の政界入りのきっかけとなった出来事は、2011年3月11日の東日本大震災において発生した福島第一原子力発電所事故です。
同年4月から脱原発、被曝運動を始めて各地でデモ活動を行いながら原発の危険性を訴えました。
それ以降は、俳優としての活動をやめ、脱原発を推進し、各地で原発の怖さを訴え続ける政治家として活動をはじめます。
2012年、第46回衆議院議員選挙に東京8区から出馬し、石原伸晃氏に次点で落選。
2013年7月、参議院議員選挙に東京選挙区で出馬し、666,684,票(11.8%)を得て初当選。
2019年4月に新党「れいわ新撰組」を設立し、党代表として現在も政治家として活動しています。
山本太郎氏の政策
山本太郎氏は自身のウェブサイトでいくつかの政策を掲げています。
主なものを挙げてみましょう。
- 消費税廃止
- 奨学金徳政令
- 原発即時禁止
- 全国一律最低賃金1500円を政府補償
- 保育・介護・障害者介助・自己原発作業員の公務員化
消費税減税ではなくゼロをうたっています。
この政策により、6年後には一人当たりの賃金が44万円アップするのだとか。
奨学金徳政令というのは、返済に苦しむ555万人分の借金をチャラにするということ。
教育は完全に無償化されるとのことです。
まさに夢のような、バラ色の未来が見えてきそうですね!
まとめ
- 山本太郎氏は1974年11月24日兵庫県宝塚市生まれ
- 1990年箕面自由学園高等学校に入学し、翌1991年に中退
- 1991年俳優として芸能活動開始
- 2011年福島第一原子力発電所事故をきっかけに政界入り
- 2013年参議院議員選挙に東京選挙区から出馬し初当選
- 2019年4月れいわ新選組設立
山本太郎氏は、まず芸能界で活躍し、その知名度を生かして現在の政界でもかなりの存在感を発揮しています。
政策を拝見すると反原発運動の他、「消費税廃止」「教育無償化」など、社会的な弱者と呼ばれる人々への配慮を欠かさない政治を目指しているようです。
22人が立候補している今回の東京都知事選挙。
どのように闘うのかが注目されます。
山本太郎氏の芸能界時代の活躍を視聴するならこちら!↓
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