ハワイにそれほど詳しくない人でも、「アロハオエ」という曲を耳にしたことがあると思います。
私は中学生の時、音楽の時間に習いました。
当時の教科書に載っていたからです。
綺麗なメロディとともに、ハワイ語の歌詞の語感が面白く、印象に残りました。
ところが、作者が誰だったかは思い出せません。
このような人は多いのではないでしょうか。
目次
ハワイ王国の歴史
「アロハオエ」の作詞・作曲は、ハワイ王国最後の女王リリウオカラニ(Lili'uokalani)の手によるものです。
舌を噛みそうな名前のリリウオカラニは、1838年9月にホノルルで誕生しました。
ホノルルの目抜き通りに名前の残る「カラカウア王」の妹にあたります。
在位は1891年〜1893年。
ハワイ王国唯一の女王でした。
ここでハワイ王国の歴史をざっくりと。
ハワイ王国は1795年にカメハメハ大王によって樹立されましたが、それは親交のあったイギリスから軍事面での協力を受けて成されたものでした。
1890年、抵抗していたカウアイ島が恭順の意を示しハワイ諸島の統一が完了したのち、1817年にカメハメハ1世が没すると、カリスマを失ったハワイ王国は徐々に欧米の影響を強く受けていくことになります。
1820年にはキリスト教宣教師団が上陸。
カメハメハ2世の妃でキリスト教徒のカアフマヌによってハワイ神話は否定され、宣教師たちの時代がやってきます。
その後、カメハメハ3世〜5世の間に、ハワイ王国は親米、親英の傾向を強め、王国はハワイ民族色を弱めていきました。
カメハメハ5世が在位9年で他界するとカメハメハ王家の血筋は途絶え、王位決定は議会に委ねられます。
ルナリロ王が選出されましたが彼もまた在位1年あまりで他界。
再び議会によりデイビッド・カラカウア(David Kalakaua,在位1874〜1891)が選出されました。
カラカウア王はハワイ経済のために積極的にアメリカ合衆国と交渉し、サトウキビなどのプランテーション産業が栄えました。
また外国の文化を取り入れ、自身もサンフランシスコを経て日本をはじめとするアジア諸国やヨーロッパを視察して回りました。
日本に立ち寄った際には明治天皇に会見し、姪のカイウラニ王女と日本の皇族との婚姻を打診しています。
帰国後はハワイ文化の復興に砕身し、禁止されていたハワイ音楽やフラを解禁しました。
「メリー・モナーク(陽気な王様)」と親しまれ、現在もハワイ島で続くフラの大会の名称はここからきています。
また、ホノルルに西欧式の豪華なイオラニ宮殿を建設しました。
最後の女王・リリウオカラニ
1890年に体調を崩した彼は医師の勧めでカリフォルニアへ移住するも、1891年に客死。
後継者として指名されていた妹のリリウオカラニが唯一の女王として王位に就いたのです。
53歳でした。
女王に即位したリリウオカラニは、兄以上に共和制派に対して対決姿勢を取り、これに危機感を募らせた共和制派はアメリカ海兵隊に出動を要請。
1893年1月に共和制側が政庁舎を占拠して王政廃止と臨時政府樹立を宣言した後、1894年には臨時政府が共和国の独立を宣言。
翌1895年1月にはリリウオカラニは反乱の首謀者として捕らえられ、イオラニ宮殿に幽閉されてしまいます。
同年、リリウオカラニは女王廃位の署名を強要され、ここにハワイ王国は滅亡しました。
その後釈放されたリリウオカラニは、1917年に79歳で亡くなるまでハワイアンたちの敬愛を受けながら穏やかに過ごしました。
音楽の才能に恵まれ、生涯に150以上の曲を遺しました。
「アロハオエ」もその一つです。
「アロハオエ」の歌詞の意味
「アロハオエ」誕生のきっかけには諸説あります。
・1878年にまだ王女だったリリウオカラニがオアフ島マウナヴィリにある別荘で別れを惜しむ軍人と少女の姿を見てインスピレーションを得た
・リケリケ王女と将校との別離を描いたもの
・ハワイ王国が崩壊するのを悼んでイオラニ宮殿幽閉時に完成されたもの
現在のところ、1878年にインスパイアされて曲の原型が誕生したという説が有力です。
ただ、曲が発売されたのは1895年。
彼女がインスパイアされたのが1878年だったとしても、推敲を重ねて完成されたのがイオラニ宮殿に軟禁されていた時期であったことは間違い無いようです。
「アロハオエ」の歌詞は一見、親しい男女の別れを描いた切ないラブソングのように感じられます。
ただ、ハワイ語の歌には、多くの場合「カオナ(Kaona)」と呼ばれる「裏の意味」が存在します。
物事を直接表現するのではなく、隠れた意味合いや、あえて隠喩を含んだ言い方で様々な事象を歌い上げることがあるのです。
例えば、大切な家族や恋人を花々やレイ、鳥などにたとえて表現することはとても多いです。
今となっては真実を知るすべもありません。
が、この曲を単なるカップルの別れを描いた曲とするよりも、滅びゆくハワイ王国への女王の哀悼の念を込めた曲と解釈する方が、個人的にはしっくりくるのです。
哀愁に満ちた美しいメロディーも、繰り返される切ない歌詞も、そんな解釈を後押ししてくれます。
「さようなら、愛する人よ(Aloha 'Oe, Aloha 'Oe,)〜
またいつか会う日まで」(Until we meet again)」
作者であるリリウオカラニの名前はそれほど知られていなくても、「アロハオエ」は世界中の人に愛されています。
この曲の真実をあれこれ詮索するよりも、ただ美しい調べに身を委ねて癒されるのが正しいのかもしれませんね。