日本人の海外渡航先として最も人気のあるハワイ。
毎年150万人もの日本人が訪れています。
今この瞬間にも、たくさんの人々がハワイに向かっていることでしょう。
中でも、ワイキキビーチから見えるダイヤモンドヘッドはまさにホノルルのシンボル。
ホテルに宿泊する際も、ダイヤモンドヘッドビューの部屋が一番人気です。
ところで、なぜこの山はダイヤモンドヘッドと呼ばれるようになったのでしょうか?
目次
ダイヤモンドヘッドの初期の歴史ともう一つの名前
初期の歴史
ハワイ諸島は、海底火山の活動によって海底が隆起したために形成されました。
その中で、ワイキキのあるオアフ島は、約250万年から400万年前に起こった火山噴火によるものです。
その後、火山噴火の名残りとしてコオラウ山脈とワイアナエ山脈が残りました。
長い火山活動休止ののち、約30万年前に現コオラウ山脈の南東の端が噴火し、これによってダイヤモンドヘッドは形成されたと考えられています。
標高232メートル、マグマ型水蒸気爆発の特徴を持った大きな噴火口は、広さが約1.4平方キロメートル。
外輪部の南西部が最高地点となっており、独特の山影を築いています。
これは、噴火中に強風によって火山灰がこの方角に向かって吹き付けられたためです。
その後、火口の外壁は風雨によって侵食され、現在の姿になったと考えられています。
1968年に国立自然史跡として認定されました。
もうひとつの名前
ダイヤモンドヘッドは、実はもうひとつ名前を持っています。
「レアヒ(Le′ahi)」、「マグロの額」という意味です。
ホノルル市が登山客に配布しているリーフレットの表紙には、
「ダイヤモンド・ヘッド(レアヒ)州自然記念公園」とあります。
これがダイヤモンドヘッドの正式名称ということですね。
リーフレットには、この山がレアヒと呼ばれるようになった経緯が二つ挙げられています。
・ハワイ神話の火の女神ペレとその妹のヒイアカが、山頂がマグロ(ahi)に似ているためそう名付けた
・レアヒは火の岬を意味し、島の沿岸を航行するカヌーを守るために山頂に灯された航海標識の火を指す
どちらにしても、土地の人々にとって重要で、ある意味神聖な場所であったということができるでしょう。
なお、1917年にはダイヤモンドヘッド灯台が建設されています。
ダイヤモンドヘッドという名前の由来
それでは、なぜこの山はダイヤモンドヘッドと呼ばれるようになったのでしょうか。
これについても複数の説があります。
リーフレットには、
・1700年代後期の西欧の探検家や商人たちが、この山の噴火口壁面の岩石の中に光る鉱石の結晶を見つけ、ダイヤモンドと見誤った
とあります。
また別の説では、
・19世紀に英国の船乗りたちが火口付近でガラスのように光る方解石の結晶見て、ダイヤモンドと見間違えた
というものもあり、どちらにしても「見間違い・すなわち勘違い」だったというのが興味深いですね。
また、ハワイにやってきた外国人が、この山の山頂が夕日に照らされてキラキラダイヤモンドのように光っていたからそのように呼ぶようになった、との説もあります。
このように諸説あることからも、古くから多くの人々を惹きつける山であったことは間違いありません。
ダイヤモンドヘッドの軍事上の歴史
もう一つ、意外と知られていないダイヤモンドヘッドの軍事施設としての歴史についてお伝えします。
20世紀に入ると、周囲の海を一望のもと見渡すことのできるダイヤモンドヘッドは、オアフ島の沿岸防衛に理想的との理由で軍事要塞と化して行くことになります。
1904年に連邦政府に買い上げられたのち、1908年からは大砲の砲台と、砦から火口に通じるトンネルの建設が始まりました。
全部で5箇所の沿岸防衛用の砲台が噴火口に設置され、あるものは北側の外壁に、あるものは火口の壁を貫いて、またあるものは火口内の地下深くに造られました。
また、ダイヤモンドヘッド砲撃統制所は1908年から1910年に渡り山頂に建設されました。
当時の工学技術を結集して建造されたもので、現在でも観光コースの頂上近くにその名残を見ることができます。
1915年ごろ、長距離砲が火口外壁斜面に建設されたことで、沿岸防衛はさらに強化されました。
これらのダイヤモンドヘッドの要塞化は1943年まで続きましたが、結局一度も使われることなく現在に至ります。
それでも、今の時代の私たちがダイヤモンドヘッドに登る時に通る道やトンネル、階段や謎の小部屋などは、この頃の歴史を物語るものなのです。
ダイヤモンドヘッドの歴史と由来・その感想
ダイヤモンドヘッドに登頂するには327段の階段を登る必要があります。(登頂証明書より)
それらの階段の一部は不自然に狭く急で、ずっと不思議に思っていましたがこれで謎が解けました。
先住民族の聖地だった「レアヒ」は、ハワイ王国が滅亡し、ハワイがアメリカ合衆国の一部になってから名前をダイヤモンドヘッドと変え、
激動の20世紀には軍事要塞と化した。
年代から推察するに、日本軍もまた敵として想定されていた可能性もあります。
それでも終戦後、20世紀後半から現在にかけて、ハワイは日本人の憧れの地となりました。
今日、多くのハワイを愛する日本人がダイヤモンドヘッドを訪れているのは、とても幸せなことではないでしょうか。
ダイヤモンドヘッドの山頂からはワイキキの街を見下ろすことができます。
繁栄するワイキキの、そのさらに先には太平洋が、そしてずっと先には日本があるのですよね。
ダイヤモンドヘッドの役割は時代とともに変わり、今は休火山として静かに佇んでいます。
これからも、今のような幸せな時代が長く続きますように。